網戸に張り付いた…招かれざる客💦

よみもの

人間の方がずっと大きくて賢いはずなのに…

どうしてこんなに嫌なのか不思議なほど、ゴキ○○(以下“G”)が苦手です💦

今日も気持ちよく洗濯物を干していたのに…網戸とサッシの間に何か見慣れない動くものが。

近寄ってよく見てしまいましたが、まぎれもなく“G”の子供らしく、長い触角をひらひらさせているではありませんか(オェ~~~ッ)

あちらの立場からしたら、こちらの方がよっぽど嫌な奴なのでしょうが、嫌いなものは嫌いなので…どうにもなりませんね(笑)

テレビの話で恐縮ですが…

科学番組や料理番組、教育番組などが好きでよく見ているのですが、これらに共通するのって「知りたい」欲を掻き立てるというか、なるほどっていうポイントがあるのが嬉しいんだと思うんです(笑)

普段何気なく過ごしてしまっているけれど、「なるほど!そんな所にこういう面白いことがあったのか」とか、「そういう見方をしているのか」とか、新しい発見がたくさんあって楽しのかもしれません。

昨日は「塩が太る」という話をしていて、塩そのものは0キロカロリーなのに、人間の飢餓スイッチを入れてしまうために、摂取したものを「脂肪」に変えて蓄えるようになってしまうそうです💦

むくみだけでなく、脂肪を造り出す手助けまでしているとは…いやはや、恐れ入りました。

人間にはなくてはならないものなのに、摂取する量によって毒にも薬にもなるってことなのでしょうか。

“ヴィラン”をご存知ですか?

ヴィランの言い分という番組をご存知でしょうか。

“ヴィラン”とは「悪役・悪人役・悪党・敵方・敵キャラ」などの意味で用いられる英語表現のようですが、先ほどの『塩』も、摂取しすぎると人間にとって毒になってしまうという意味では“ヴィラン”ですね。

私の場合は、すぐに思い浮かぶのは“G”です💦

あの、こげ茶だったり黒光りするような、どんな隙間にもカサカサっと足早に吸い込まれてしまう…テラテラと不気味に艶の良い、あの“G”です!

他にも、生き物で言えば昆虫全般だったり、人に危害を加えるような生物。

最近はクマやイノシシ、カラスなど、カモメなんかも都内ではマンションに巣をつくるとかで被害に遭っている方々もいらっしゃるようですね。

スギ花粉をはじめとする花粉も、花粉症を抱えている方々には見たくもない嫌な奴なんじゃないでしょうか。

私は山に登りますが、足首手首まで覆う服装で出掛けないとかぶれてしまうので、顔以外はほとんど出さずに出かける感じです。

その他にも、皆さんが嫌だなぁって思っているものって、恐らくたくさんあるんでしょうね。

話が少し脱線しましたが、そんな“嫌われ者”にも、こんない良い面もあるんだよという、「彼らの言い分」を聞いて、なるほど~と感心するのがこの番組なんです。

嫌われ者の正体

嫌われものの“ヴィラン”に、本当に、良い部分があるのか否か?

『塩』の例では、生きるために必要でありながら、取り過ぎると太ったりむくんだり、体そうでしたが他はどうでしょう。

例えば“G”ですら、自然界の重要な一部であり、他の生物との関係を持っているわけですから、彼らがいなくなることで、食物連鎖や生態系に変化が生じる可能性は考えられますね。

食物連鎖の影響としては、“G”は鳥や小動物の餌となることがあり、その存在が生態系のバランスを保つ一翼を担っていることになります。

その数の減少で、彼らを餌とする生物にとっては影響が出ることになりそうですね。

“G”がいなくなれば、彼らが持つアレルゲンにより引き起こされる、アレルギー反応を防ぐことはでそうですが、廃棄物や汚れを餌とするため、“G”が減少することで、衛生状態が改善される可能性がある一方で、処理されずに残ってしまう廃棄物や汚れもあるかもしれません。

他の嫌われ者たちも、よく観察したり調べてみれば、悪い部分と併せて良い部分もきっとあるのだと思います。

一体誰に嫌われているの?

この答えは、まさしく私たち人間です。

結局のところ、嫌われ者がいるということは、私たち人間が生活しやすく、住みやすい環境にしていくことで、植物や動物たちを追いやっているということでもあります。

私達人間から見たら、気持ち悪い見た目だったり、毒だったり、迷惑なことを引き起こす原因になる“ヴィラン”達ですが、人間から一歩離れて同じ生き物として眺めてみれば、共感する部分もあるのかな~と思えますよね(笑)

環境の変化と環境破壊

生き物の多様性や、環境負荷など、様々な面において最も悪さをしているのは私たち人間ですが、生命の進化がある以上、私たちの歩みを止める事もまた不可能なのだと思います。

今現在地球上に生きている生物の全てが、絶滅することなく生き永らえられたら良いなと思う反面、進化の面では適応力のないものは淘汰されていくことが自然の法則ともいえるのではないでしょうか。

手を加えすぎることなく、進化に水を差すことなく、ラポールとバランスを保って生きていくことが私たちの宿命にも思えます。

何が良くて何がダメなのか、そのことにすら表と裏が介在し、一方的に決めつけられることは世の中に存在しないのかもしれませんね。

自分らしく自由に生きる

結局答えのない世の中で、自分の生き方を模索する…という状況になりやすいのですが、生き方はそれぞれであり、自分が良いと思った方向へ進むことが幸せなのだと感じています。

自分が価値を感じるものへ向かって、一歩ずつ人生を積み上げていく、或いは今を大切に生きる。五感で幸せを感じられることが、幸せな人生そのものですから。

それならすべてが自由で良いのだから、自由に生きている“G”にも構うことなく見過ごしたい気持ちはやまやまですが、最初にもお伝えした通り「嫌なものや嫌」という感覚は捨てられそうにないので、せめて私の目の前には表れないで欲しいわ~。

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